about

STETSON 150周年
1865年の創立当時と同様、ステットソンは今日も創意工夫を凝らし、
正統性と多様性を重んじるアメリカン・スピリットを持ち続けています。
ステットソンは、アメリカの歴史と共に歩んできました。
これからも時代を超えて進化し続けて行きます。
  • 1830 - 1864

    青年は西部へ向かう

    創業者のジョン・バタソン・ステットソンは、1830年に東部のニュージャージー州オレンジに生まれました。父のスティーブンは帽子ビジネスで成功し、ノー・ネーム・ハット・カンパニーという会社を設立。子どもは12人おり、ジョンはその7番目。ジョンは正式な学校教育をほとんど受けず、読み書きは母から、帽子のビジネスは父にから教えを受けますが、20代で結核を患い、健康を回復するために西部へと旅立ちます。

  • 1865 - 1869

    フィラデルフィアへ帰還

    ステットソンはパイクス・ピーク登頂に成功し、健康を取り戻しますが、大金を得たわけではありませんでした。1865年にフィラデルフィアに戻り、姉から60ドルを借りて、帽子の製造販売を始めます。フィラデルフィアには帽子工場が多数あり、競争は熾烈でした。 やがてステットソンは、かつての経験を踏まえ、西部への帽子販売を思い立ちます。

  • 1870 - 1875

    製帽工場の設立

    「ボス・オブ・ザ・プレインズ」第1号を作ってから1年もたたない1870年に、ステットソンはフィラデルフィアの北の郊外に建物を購入しまします。これがやがてアメリカ最大の帽子工場へと成長し、 ステットソンは革新的な事業を推し進めながら、従業員の福利厚生も大切にするという、ステットソンの経営理念を打ち建てます。

  • 1876 - 1900

    19世紀の黄昏

    アメリカが建国100年を祝う頃、ステットソン社は多数の賞を獲得し、各界から高い評価を得るとともに、大企業として地位を確立し、国際的にも注目される存在となります。

  • 1901 - 1919

    事業の発展

    時代は20世紀へ。創業者のステットソンは、自身も想像していなかった成功へと会社を導いていきます。ステットソンは直感的に時代を先取りしたマーケティング手法に着目し、伝統的でありながら革新的でもある手法を組み合わせてます。それにより、ステットソンを知らない人が居ない程にステットソン社の名を知らし広め、ステットソン社製の帽子はアメリカン・クオリティの代名詞とまで言われる様になります。しかし、創業者のジョンには、あまり時間が残されていませんでした。

  • 1920 - 1929

    狂騒の20年代

    ステットソンは、ジャズ・エイジの波に乗り、新しいファッショナブルな帽子を作り続けます。ステットソンの帽子は、ハリウッドの大スターや政治家に加え、贅沢な暮しを満喫する、流行に敏感なセレブたちに愛用される様になります。

  • 1930 - 1939

    困難な時代、新たな好機

    大恐慌は、あらゆる人にとって大変苦しい時代でしたが、ステットソンはイノベーションを続けることでそれを乗り切って行きます。国全体が苦境に立つ中、実用的なニーズと大きな希望に応えられる様に生産を拡大し、製品ラインナップの拡大を図ります。

  • 1940 - 1949

    40年代

    第二次世界大戦に際し、ステットソンは積極的に国に協力する姿勢を取ります。軍人向けに大量の帽子を生産し、従業員から志願兵を募り、労働力と資材を国に供出します。また、思慮分別の大切さをテーマとする広告キャンペーンを展開します。

  • 1950 - 1959

    50年代

    戦後のオプティミズムの波に乗り、ステットソンは「世界一高価な帽子」を製作し、そのPRのために世界ツアーへ繰り出します。 アメリカでは人々が平和と好景気を享受しており、当時の広告にもそれがよく表れています。

  • 1960 - 1969

    60年代

    無帽の大統領(JFK)とリンドン・B・ジョンソン(LBJ)帽子の売れ行きは50年代から陰りが見えていましたが、1961年の大統領就任式にジョン・F・ケネディが帽子を被らずに現れたのは、致命的な出来事です。しかし、ケネディ暗殺後に政権を引き継いだテキサス人のリンドン・B・ジョンソンは帽子を愛用し、ステットソンが創立100周年を祝う頃には、ステットソンの過去からの業績と今後10年の方向性を体現してくれました。

  • 1970 - 1979

    大転換期

    帽子は、日常生活での必須の装身具ではなくなり、多くの帽子会社が廃業へと追い込まれます。ステットソンも、フィラデルフィア工場の生産を停止し、跡地を市に寄付。生産はミズーリ州セントジョゼフ工場で継続し、景気の良い西部市場を主にターゲットとします。

  • 1980 - 1989

    20世紀の終盤

    ステットソンは製造・販売からライセンス・ビジネスへと方向転換を図り、自らをライフスタイル・ブランドと位置づけて、フレグランスやアイウェアへと商品ラインナップを拡大します。「レイダース/失われたアーク〈聖櫃〉」や「アーバン・カウボーイ」などの映画が帽子の売上を大い後押しします。

  • 2000 - 2014

    21世紀の夜明け

    ステットソンは、ライフスタイル・ブランドとして、アパレル、フットウェア、ホームグッズを展開。ヨーロッパでライセンス契約が結ばれています。西部開拓時代に敬意を表し、コレクターズアイテムである、限定版のコルト®・リボルバーを発売。また「ヒップスター」ファッションの始まりとともに、ドレスハットが復活します。

  • 2015 -

    今日と明日と

    ステットソンは、すべての人を、時空を超えた旅にいざないます。多様性と統一性を保ちながら、革新的で適応性に優れたステットソンは、伝統に対して最大限の敬意を表しています。私たちは語り部として、この会社の伝統を次世代に引き継いでいきます。